NPO法人 環境みらい下関|循環型社会の形成へ市民活動を活発化させよう 


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環境コラム 

2013年3月号

コミュニティ・スクールが始まった

平成24年4月より、下関市の小・中学校でコミュニティ・スクールが始まり、各校にコミュニティ・スクール運営協議会が設置されています。

コミュニティ・スクールは、保護者及び地域住民等が学校運営への参画を行うシステムをつくり、学校教育活動の充実に向け、学校、保護者及び地域住民等が協働し、保護者及び地域住民の要望を踏まえ、地域に開かれた特色ある学校づくりを推進し、保護者及び地域住民が教育活動等に対して主体的・積極的に支援・協力するとともに、学校と一体となって学校運営や児童生徒の健全育成に取組み、学校・家庭・地域、それぞれの教育力を高めていくことの達成をめざしています。

青少年の健全育成に関わる団体は既に各地に設置されておりますが、学校運営への参画や学校教育活動への積極的支援等の取組みをしていくコミュニティ・スクールは、これまでにない画期的なシステムでもあります。しかし、既存団体等との併用や両立を考えると、ただ単に新しい組織が追加された、という単純なものではなく、将来的には既存組織との統合まで視野に入れた活動を模索していく必要もあるのかもしれません。

今後の課題としては、学校運営や学校教育活動に少なからず関わっていくことになりますので、学校組織のマネジメントの重要性や、学校・家庭・地域の連携をこれまで以上に深めるために、どのような子どもたちを育てていくのかという、その地域での共通ビジョンの共有化、コーディネーターの配置、情報の発信や公開方法の検討、将来的を見据えた小学校と中学校の連携、運営予算の捻出などがあげられます。

また、コミュニティ・スクール運営協議会の設置とともに学校応援団を創設して、協議したことを実行に移すことも大切になってきます。多くの方々が、その地域にある学校やそこに通っている児童生徒の育成に関わることは、未来を担っていく子どもたちへの投資でもあります。ぜひ積極的なご支援、ご協力をお願いいたします。



NPO法人環境みらい下関
理事 倉本喜博




2013年2月号

JR長府駅リニューアルに思う



年があらたまり旧年のカレンダー整理をしたところ、市内の広告会社の長府駅今昔の写真で、駅構内の見事な桜並木が載っている月めくりの一枚があるのに気が付き、平成13年9月1日発行の、斉藤哲雄著「下関駅100年」の一文を思い出した。それによると、明治34年に山陽鉄道が下関まで開通したのを記念に、長府駅構内に吉野桜200本あまりが植えられ、車窓の客を慰めた。当時長府全町で豊永長吉、桂弥一氏の力で、約2万本の吉野桜が植えられ、桜花季には鉄道の外に、唐戸から関門汽船も臨時便をだし、市内及び北九州からも花見客を運んだ。功山寺や覚苑寺の桜を見終わった帰りに長府駅構内の桜を楽しんだ。

大正7年に列車運転上支障があるとのことで、町民に知らせることなくこの構内の桜が切り倒され、町民が激高するところとなったが、後に泣き寝入りとなったと新聞は伝えている。この桜樹の代わりではあるまいが、一樹の藤樹が駅前に、地域の方より寄付移植された。当時の新聞は「この名樹が桜樹のごとく切り取られぬよう、永久に保存したい」と報道している。しかし、この樹も藤棚の老朽化と不法駐輪の場所となり、この度の長府駅のリニューアルによる駅前広場の整理で、この由緒ある藤樹が取り払われたのはなんともさびしい限りである。

著者には、明治や大正の初めのころは長府駅構内の桜が下関の名所の一つだったという心床しい話は記録して残したいと記載されているが、心に止めておきたいことである。


NPO法人環境みらい下関
理事 石森英雄




2013年1月号

場所性に凹ずる町づくり


タイトルでは「応ずる」を敢えて「凹ずる」と表現している。いたって真面目に「遊び心は大事」と常々思っている。しかし、ここは、単なる「ことば遊び」に止めたくない。

昨年11月1日の下関市から頼まれた市街地整備促進協議会研修会における講演では、そのテーマを「場所性に応ずるまちづくり」としていた。講演のために、これまでの都市環境やまちづくりにかかわる小生の各所における体験をさまざま思い起こしていたら、成功事例のことごとくが≪場所性≫を的確にとらえ応じきれているゆえにうまく達成しえたのだ、と新たな発見のように確認でき、我ながら講演では妙に元気づいていた。

場所性が活かされた都市形成やまちづくりには例えば次のようなものがある。小河川しかなく白砂青松の地であり水源乏しいゆえに、福岡市は節水型都市づくりが達成できた。低平地で厚い有明粘土層に乗り、かつ洪水でも渇水でも被害に遭い易い土地柄の柳川市は、縦横に巡る掘割の諸機能を改めて確認できたことで、掘割蘇生・再生のまちづくりが成功した。山口市の一の坂川は、都市部の掘り込み河川ではあっても、ホタルの身になって工法が工夫されたゆえに、自然共生のホタル護岸ができた。そして、ヒトとモノと情報が一旦吸い寄せられて、ミガキがかけられて広く発信していくという下関市の交流結節点としての機能や市場(いちば)文化が十分に活かされたゆえに、「ふく」ブランドは確固たる地位を得ることができた、などである。

講演では、どの都市においてもこのように、場所の特質を読み、その場所の土地や風土の要請に耳傾け、場所性における潜在力=ポテンシャルをゆっくりと押し広げ活かしきることを主眼に置くように、と訴えたつもりである。活かしきれないことこそが「もったいない」のだ。

では、なぜ、「凹」なのか。思いついたのは、例の「環境○○」と「○○環境」の違いからである(環境技術と技術環境/環境教育と教育環境/環境偽装と偽装環境/etc.)。

前者「環境○○」は目的がはっきりして限定的である。後者「○○環境」は私たちが置かれている状態(環境)を問いかける用語になっており、対比的にはどうも「前者が凸型で、後者が凹型だ」と言えるように思ったのである。

それだけではない。3.11の東日本大震災は、それまでの私たちの生き方や文明のありように大きな節目を意識させているのだが、3.11以降のこれまでさまざまな論調を見ていると、直観的で論証なんかできないのだが、大きな変わり目としてさまざま論じられていることが、なぜかしらどうも「凸から凹へ」と大くくりできるように、小生には思えるのである。

例えば、下関豊浦の「川棚の杜」を設計した隈研吾は『場所原論』(市ヶ谷出版社、2012年1月)で次のように述べている。1755年のリスボン大地震は普遍化の時代(=場所と人間とを切断する時代)の始まりだったが、「逆に東北の大地震は、場所と人間とを再び結び付け、『小さな場所』を復活させる時代の始まり」だと。また、辻信一は田中優子との対談(『降りる思想』大月書店、2012年10月)の中で述べている。経済成長志向の「ファスター、ビガー、モア(より速く、より大きく、より多く)」に対して、3つのSから始まる「スロー、スモール、シンプル(遅い、小さい、簡素)」が、「世界をギリギリまで追い詰めてしまった『過剰』を解決する力になるのでは」と。3.11の節目は、「過剰な競争」や「切断」の攻撃的なイメージの凸型から、ゆっくりと結び付き合う受身的なイメージの凹型への転換を志向しているように思えるのだが、どうだろう。

……ともかく、今年から本格的に用いる我がNPOのシンボルマークには、うまい具合に幸先よく、下関市の場所性と「スロー、スモール、シンプル」の3つのSが込められている。






NPO法人環境みらい下関
理事長 坂本 紘二




2012年12月号

紅葉の旅




1年が立つのは早いもので、秋も暮れて冷気も深まりあわただしい師走になった。駆け足で時が進むような気がして日々の大切さを痛感している。

先月JTB創立100周年特別企画、往復直行チャーター便で~にっぽんの元気な旅~錦秋の北豊北の旅に、私はある思いからこの旅に参加した。九州から東北へ行くバイ!応援キャンペンの期間中で震災後観光が激変している中、九州から東北6県へ1人でも多くの旅行者が現地を訪問して豊北の観光復興を応援するキャンペン。

福岡空港を出発して青森上空付近にくると、眼下に広がる紅葉の山々に気分も高揚し心が弾んだ。やがて青森空港に到着すると「ようこそ青森へ」とミス・リンゴ、あおもり観光マスコットキャラクター「いくべぇ」や関係者の方々からも歓迎を受けてとっても感激、これからの旅にどんなドラマがあるのか興味津々(NHK青森放送局が取材、歓迎のようすを夕方放映された。)

このたびの観光は、初日八甲田、奥入瀬、十和田湖エリア、2日目は八幡平アスピーテライン、田沢湖、角館エリアで3日目は中尊寺・金色堂の行程での旅。

大自然が織りなすみちのくの紅葉めぐりに出発した。八甲田山麓を過ぎるとやがてナナカマドやカエデの紅色と、ダケカンバやブナの黄色の木々が燃えるような色に染められていて、視界いっぱいに秋色が広がる。特に八幡平アスピーテラインは絶景のドライブルートで、原生林や湖沼を彩る紅葉は一段と美しく感動の連続。そして木々が発するエネルギーで元気と活力をもらった。


この3日間好天に恵まれた上、ユーモアと経験豊かなガイドさんの話術に聞き惚れ、車内の雰囲気は笑いで場が和んだ。あっという間に時は過ぎたが、色彩鮮やかな紅葉をたっぷり満喫し、表情豊かな奥入瀬渓流の静寂に癒され、宿では満足したおもてなしを受け、名湯へゆっくり浸り、こだわりの郷土料理を堪能し、東北のお土産を両手に抱えて、いわて花巻空港から帰路に着いた。この3日間の紅葉の旅で、泊まる、食べる、買い物をするなど、地域とのふれあいで観光復興の力に少しは支援が出来たと思っている。


NPO法人環境みらい下関
理事 村尾孝子




2012年11月号

海峡軽トラ市場にて




毎月第三日曜日にあるかぽーとで“海峡軽トラ市場”が開かれています。

財団法人下関21世紀協会がこの地区の賑わい創出事業として今年の12月まで開催している行事なのですが、回を重ねるごとに多くの方々に来場いただき、旬の野菜や果物などが飛ぶように売れとても人気があります。

食品以外ではNPO法人環境みらい下関が販売している自転車がとても人気で毎回ほぼ完売という状態です。人気の秘密は、先ずここで販売されている自転車は全てリサイクルされたもので5000円程度ととてもリーズナブル。リサイクル品にもかかわらず状態がいいものばかり。シティーサイクルがメインですが時にはマウンテンバイクやロードバイク、子供用の自転車も登場し販売と同時に売約済みの札が付くほどです。
ある日、ロードバイクが海峡軽トラ市場で売られていました。どうやらメーカー物らしくそれをじっくり品定めされている人がいました。値段も確か6,000円くらいだったので私も目をつけていたのですがお客さんがその自転車を見ているしちょっと用事もあったのでその自転車が気になりながらもその場を離れました。私が子供のころの自転車といえば、前後に大きなウインカーがついてまるでデコトラのような自転車でした。当時はあれが流行の最先端だったんですが最近は余計な装飾は全くなく見た目も軽そうでおしゃれな感じさえします。さっきの自転車もシンプルでとてもスタイリッシュなフォルムでした。今年もツール・ド・しものせきのお手伝いをしたのですが、男女関係なくサイクルウェアーに身を包んで颯爽と走り抜ける姿は見ていて惚れ惚れします。毎朝通勤時にロードバイクに乗った女性ともよくすれ違うのですがこれがまたとても健康的で格好がいいんです。普段ほとんど運動らしい運動もしていないしちょっとお腹も出てきたので「あの自転車を買ってあんなふうに風を切って…」そんなことを思いながらさっさと用事を済ませてお店に戻ると後の祭り、もうその自転車の姿はありませんでした。あの日以来海峡軽トラ市場が開かれるたびに必ず環境みらい下関のお店に行くのですがいまだ私の「風を切って颯爽と走る自転車」に巡り合えていません。


NPO法人環境みらい下関 理事
(財)下関21世紀協会理事長 平野貴昭




2012年10月号

私 の 今 昔


私が初めて下関に来たのは今から40年も前の事です。結婚して1年目の時、主人が長男でありお母さんが1人になる・持病があるという事で来ました。その頃はまだ新幹線も通っていなかったので、大阪に里帰りする時は山陽線で8~9時間かけて帰っていました。帰った年に長男を出産し今では5人の子供、10人の孫に囲まれています。   
私が下関に来て思った事は、急斜面に家がたくさん建っている事と私が知らないだけかもしれませんが食事する所が少ないと感じた事です。

母の思い出
私の亡くなった実母は、下関、特に山陰の風景がすごく好きで、遊びに来た時は必ずドライブに連れて行きました。母は目を細めて本当にうれしそうに、「本当にいい所だね。観ているだけで心が和むよ。」と言いました。今考えると、これが
「NPO法人環境みらい下関」につながるのかなぁと思います。里山、エコ、色々な自然環境を考えて進めておられる方々、本当に頭が下がります。

会員研修旅行は九州大学伊都キャンパスへ
私は、今年の2月に自然を考える体験をさせてもらいました。「NPO法人環境みらい下関」のバス研修で、行先は九州大学伊都キャンパス。初めて見る壮大な敷地、建物、自然環境を生かした設計に目を見張りました。そこでは私たちに今研究をしている「水素エネルギー」について説明をして下さいました。まだまだコストが高く一般に出回るまでには時間がかかるそうです。

風力発電の研究については
風力発電も研究されており、自治体が建てている物とは違い小さいのですが、風の方向で向きがひとりでに替わり合理的に出来ていて、研究が進んでいるのだと感心しました。そして、その風力発電を利用して、大学内に足湯がありました。温度も丁度良く見学に来た人たちや学生さんの疲れをとっているのだなぁと思いました。私も60半ばを過ぎ、改めて自分に出来ること、自分から進んで何かを出来る人になりたいと思います。


NPO法人環境みらい下関
理事 中野清美




2012年9月号

故郷


私の故郷は、福岡県の久留米市 (旧浮羽郡)です。7月の集中豪雨では、被害状況がニュースで再々報道された所です。ここ数十年来このような被害が出たのは、大変珍しく平素は、自然災害とは無縁の街で、植木直売・フルーツ観光「巨峰発祥の地」として知られており、暮らしやすい街だと思っています。

これも、世界的な温暖化・異常気象の影響なのかわかりませんが、ゲリラ豪雨は嘗ては見られない現象で、少なからず影響していると思われます。これからの防災計画は、従前に捉われない備えが必要であると感じました。

卒業後は、某化成品メーカーに就職し、約10年間大阪の街で過ごしました。大阪は気取らない街で、住みやすかったことを記憶しています。当時は阪神タイガース、吉本新喜劇の活躍が目覚ましく、関西イズムとまで言われ、東京には無い、パワーとエネルギーがありました。ただ、水道水については、琵琶湖系の水脈であったため、特に夏場はカルキと藻の異臭が強く、そのまま飲むにはかなり閉口しました。また、立地的には、京都・奈良・兵庫・和歌山などの観光名所なども近く、数多くの観光地を訪れる機会に恵まれました。

当時思ったことは、故郷の素晴らしさや都会の素晴らしさが、住むことによって、客観的に評価出来た事です。田舎では、当たり前の普段の生活を、都会で手に入れようと思ったら、莫大な費用がかかります。お金では手に入らない物も数多くあります。

要は、小さい頃から存在するものには、なかなか価値を見出さない。違う環境を体験して、始めて見えてくるものがあります。翻って下関はどうでしょう。素晴らしい景観や名跡が数多く点在しています。地元の人たちは、このことに誇りをもつこと、大いに自慢することが必要です。下関に移り住んで20年の歳月が経過し、第二の故郷になりつつありますが、初めて関門海峡を眺めたときの感動が徐々に薄れていく自分に気付くことがあります。数十年経ってもこの景観が失われていなければ、間違いなく日本一の景観となるでしょう。


NPO法人環境みらい下関
理事 高山 剛




2012年8月号

古都奈良町と東京スカイツリー


新緑の清々しい折りに、金婚を迎え、嫁いでいる娘たちと、奈良の散策をしてまいりました。

「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録されている奈良は、東大寺、興福寺、春日大社、元興寺、薬師寺、唐招提寺、平城宮跡、春日山原始林の8遺産全体の歴史や文化の特質が評価され、登録された文化遺産です。

1300年の歴史をもつ奈良は、平城京の外京として多くの社寺が置かれ、その門前に様々な人が集まり、門前郷として発展し、その後豊臣から徳川へ政権が移り、奈良町は徳川幕府の直轄地として、今の街並みが築かれたそうです。我々の今回の目的は「奈良町」を散策することでした。二次大戦の戦災を免れ、奈良町都市景観条例で保護されており、近年では地域住民による町屋保存活動が活発化し、奈良町づくりセンターを設立し、今も町屋の原型を保ちながら商店、公共文化施設、社寺が町内各地に点在し、細かく入り組んだ路地を歩きながら歴史的風情を楽しむ観光スポットとして賑わっております。訪れて驚きましたのは、下町でありながら、塵一つなく、磨き抜かれた清潔な町の印象です。

この時ふと思ったのが、5月22日開業された、東京スカイツリーのことです。全高634m自立式鉄塔として世界最高、電波塔としても世界最高で、都市景観の創造:まちの活性化への起爆剤:都市防災「安全と安心」への貢献をコンセプトとし、開業から1週間後には予想の1.5倍と来場者が膨らみ、早くも問題点が報道された事です。スカイツリーの周辺は低層の住宅地であり、下町の雰囲気が色濃く残っており、ここに巨大な構造物が突如現れることにより町の景観が破壊され、周囲に圧迫感をあたえている。周辺地域ではスカイツリーを訪れた多数の観光客・見物客による違法駐車、ゴミのポイ捨て、立ち小便、騒音、交通渋滞、歩きたばこなどが問題になっており、清掃の為のNPO法人が出来た事迄報道されました。日本の技術力を世界にアピールする絶好チャンスが出来たとは言え、エコロジーの騒がれている今日、あまりにもお粗末ではないでしょうか。

スカイツリーとそれを囲む地域が、世界遺産に登録されるとしたら、何百年先の事でしょうか?おそらく国民全体がエコロジーに、目覚めなければ駄目でしょう・・・・・



NPO法人環境みらい下関
理事 中尾 許弘




2012年7月号

オブ・ザ・ピープルについて


「人民の」と口にしただけで、すぐ思い起こすのが「人民の人民による人民のための政治」である。それほどまでに広く長く定着している標語は他に見当たらないかもしれない。

大学院を出て助手になったのが1973年だから、既に学生生活から相当遠ざかっているが、学生時代に雑談中の友人から教わり、これまでこびりついて離れず、さまざまな場面でこだわってきたのが、「of the people」を「人民の」と訳したことの誤りである。それはある英文学者の文章を紹介しながらの指摘であった。

つまり――「オブ」は目的格だから「人民の」と訳すのは間違いで、「人民を」と訳すべきだ。実は私たちピープル自身の支配のされ方をピープルである自分たちで決めることを言っているのだ――というものである。

長田弘のシリーズ「詩人が贈る絵本」の一冊に『リンカーン ゲティスバーグ演説』(みすず書房、2002年)がある。出版社によるその紹介には「《人民の、人民による、人民のための政治》、誰もが知っているこの言葉で終わる合衆国大統領の1863年の演説は、今こそ読まれるべきではないか」とあるのだが、長田弘は演説の末尾の部分をピ-プルの訳にこだわりながら、「人びとを、人びとが、人びとのために、自ら律する国のあり方を、この地上から消滅させないために」と訳している。彼は、「リンカーンの『the people』を『人民』や『国民』としてでなく、あらためて『只の人間』として、すなわち『人びと』としてとりもどす」ことを試みたと述べている(『知恵の悲しみの時代』2006年、みすず書房)。

演説でいう「ザ・ピープル」は、確かに「人びと」と訳されるのが私たちには最も馴染みやすいと思う。それ以上にうなずかされたのは、こだわってきた「of the people」が、「人びとの」ではなく「人びとを」と正され、「自ら律する」が加えられていることである。

リズミカルな訳「人民の、………」については、岩波文庫の『リンカーン演説集』(1957年初版)に訳者(高木八尺)の解説がある。そこでは、「of the people」に関して、「(目的格である)人民の上に行われる政治」および「(主体である)人民の行う政治」という二つの見解が対立していて、前者が有力ではあるが、そして、「文法のことはともかくとして」と断わりながら、「人民の形作る政治」を意味すると解して、後者が正しいと述べている。

岩波文庫のその解釈は、やはり少し無理があるように思う。しかも結果として、そのように「人びとを自分たちで自ら統べる」という目的格の意味が失われたまま流布し、定着してしまったことによって、「ルールづくりを自分たちで行いながら、自分たちを規制し合う」ことの重要性が私たちの間で意識されなくなったのではないだろうか。

各地域において、住民参加を旨とする、都市計画における地区計画や景観法に基づく景観協議会がそれほど活発化しないのも、そして、私益を超えた共益や公益の大きな価値実現への取り組みがそれほど盛んにならないのも、つまりは、「何をしても自由」な「私」や「私有」が、「公」に背を向けて前面に出やすいのは、その辺にその要因をたどれるのではないか、とすら思っている。本誌1月号で述べた《脱・自分バッカ》をめざそうとする時、「of the people」の意味するところをよくよく考えてみる必要がありそうだ。


NPO法人環境みらい下関
理事長 坂本 紘二




2012年6月号

地球環境を次世代に


NPO法人環境みらい下関がスタートし、早いもので10年目を迎えた。
この間いろいろな形で、たくさんの方が係って下さり、アイデアや労力を提供されたことに感謝致します。
お陰で、しものせき環境みらい館に訪れただけでエコの方向性が見える場所へと成長することができました。
エコの実践は、リデュース、リユース、リサイクル等々ありますが、そもそも環境問題を真剣に考えなければならないところまで壊した我々人類とはいったい何者なのだろうか。
日常の行動を考えると面白いことに気付く。例えば、車に乗って渋滞の中イライラしている人、滑稽な光景にも思えてくる。なぜなら本来2本の足で自由な方向に歩いている筈の人間が、何やら4つのゴムタイヤが付いた鉄製の箱の中に座ってガソリンを燃やしながらアスファルトの路上を進もうとしている。200年前の腰に刀のちょんまげ日本人がこれを見たとしたらUFOより不思議で恐ろしいのではないだろうか。円高も手伝って、海外へ出かける人も多くなったが、ジャンボジェット機がハワイまで1回飛ぶだけで、乗客500人が一生吸う量の酸素が消耗されるという計算も驚くべき事実だ。
石油を使い始めて、何かと環境汚染の速度は上がったが、CO2と温暖化以外に人体の汚染もかなり深刻な問題だろう。石油化学の発達で、ナイロン・プラスチックなど発明され、衣類や住宅資材、或いは日用品の粗材として実に重宝してきたが、最近では安くて簡単で腐らず綺麗で美味しくを追求した結果、食品のほとんどに石油の加工品が添加されている。これによって細胞、遺伝子レベルで、健康が脅かされている。食べ物だけではない。便利になったと思うところに必ずと言っていい程危険が潜んでいるものだ。電磁調理器やパソコンなどの家電、セキュリティ装置、放射線検査装置などは、瞬時に染色体の塩基配列を傷つける。遺伝子損傷・変異は自分だけではなく、世代を超えて汚染が引き継がれるから厄介だ。
この夏は原発の停止で全国的に節電が必須となりそうだが、我が家ではタイミングよく太陽光発電器を設置。
すると発電量と売電・買電状況がモニターでリアルタイムに表示される。照明やTVを消した途端に0.1~0.2Kw/hずつ使用量が小さくなっていくのを見ることで、思わず節電したくなる人情を経験。ささやかなエコが実践できました。生物が誕生して数億年、人類らしきが出現してからでも数百万年の歴史があるが、この長い時間を1年に例えてみると、自然環境破壊が始まったのは大晦日の夜遅くから、一人一人の努力で青い地球を護り新年に繋ぎたいものです。


NPO法人環境みらい下関
理事  橋本 隆洋




2012年5月号

十年ひと昔


「昔から十年ひと昔と言うナァ・・・」
私の小さい時、祖母の話しのあたまはよくこの言葉から始まっていた。つまり世の中の事や身の回りのことは、十年経つと驚くほど変わるということである。
人が生まれて十年すると小学校に通うようになり、それから十年すると結婚したり職についたりし、更に十年すると新しい世代が生まれるようになる。
「環境みらい下関」も今年で十年目を迎えている。設立総会は平成15年1月20日であるが設立に関わる準備は平成14年から始まっている。NPO法人として発足した当時は“公設民営”としてめずらしい存在であった。設立総会までに名称を公募し、その選定に多くの頭脳が結集され、ようやく“環境みらい下関”に決定した。当時の世相は環境問題が高揚し、特に地球温暖化への関心が高まっていた。その動向を見つめて下関のみらいをすばらしいものにしていこうという思いが充満していた。
さてそこで下関の環境をどのように展開していくかという具体像を描かなければならないとなると現存の環境の実態を把握する必要がある。これがなかなか難しい。
取り敢えずの想いで「ゴミ減量」「リサイクル」に関する講座、教室の開設を足がかりに一歩踏み出した、そしてこれらを実践しながら「情報の収集」「調査研究」を進めて、足腰を固めていこうという発足であった。
それから十年を経たこん日から振り返ってみると「ゴミ減量」は一筋縄ではいかない、むしろ増えている気がする。「リサイクル」関係は活動に個人の具体験があるので関心があり実績が高まっている。
次に「情報の収集」と「調査研究」の進展はどうだろう。今の環境みらい下関の陣容では組織作りが難しい。これが進展していくとみらいが見えてくるであろう。
十年経って変わってもらいたいものが一つある。みらい館の再生工房の前に駐車場がある。ここは大型車と車椅子車のスペースになっているが、それがなんと高15㎝位の縁石で仕切られているのを見て違和感を感じた。あにはからんや日数を経て縁石を見ると、車が乗り上げたタイヤの跡が黒々と残っていた。その後この縁石にトラ印が塗られたがそれでもタイヤ跡は絶えない。つまり運転手の死角になっている。そこで局長に提言した。
「あの縁石を取り除くと大型車の駐車が楽になり、更に車を玄関に横づけできるように改修すると雨降りでも見学者は傘をささずに入館でき、車椅子についても雨の心配がない。正に一石二鳥ですョ。」
局長曰く、
「公設でも二、三年使い勝手が悪ければ環境部に提言しますョ。」
十年経ってもこの縁石の姿は変わっていない。
「環境みらい下関」も足元に検討課題があるような気がする。

NPO法人環境みらい下関
理事  山本 隆彦




2012年4月号

環境教育と食育


 昨年の3月11日、私は大阪の日雇い労働者の町、釜ケ崎に学生たちとゼミ研修に行ってるときに、その大きな揺れを感じ、そのあとテレビを通して、あの惨状を目のあたりにしたのでした。その後、原子力発電所が津波で破壊され、原子力発電所の神話が崩れていく過程とそれを必死で隠そうとする電力会社と行政の姿を目のあたりにしたのでした。電力の供給は重要な国策ではありますが、危険性も含め、情報をオープンにしていくことが必要だと、強く思いました。原子力発電所の放射能のほかに送電線、配電線の電磁波の問題もあると思います。株式会社としての電力会社の限界があるのでしょうか、国も電力会社と正しい距離を保ちながら安全性については厳しいチェックをしていく体制が必要だと思います。今回の事故を通して、高すぎる原子力発電への依存度に国民の多くが大きな疑問をもったと思います。小学生も中学生も高校生も大学生も原子力発電の危険性を身にしみて感じたのではないでしょうか。
 私は2011年4月から梅光学院幼稚園の園長を兼務していますが、園児たちもテレビを見て地震と津波の恐ろしさ、そして原子力発電の怖さを彼らなりに体験しました。昨年、梅光学院幼稚園に「そらべや基金」よりソーラーパネルが贈呈されました。メーターがついているので、園児たちは現在の発電量を目で確認できます。また、ソーラーおもちゃで遊びながら、蛍光灯の光では動かないのに、太陽の光を浴びるとすぐ動き出します。太陽がこんなに大きな力をもっていることを体験できます。
それから太陽の光ときれいな水から稲が育つことも大きな体験です。バケツ稲栽培や農家の田植えに参加することで、稲の成長について学んでいきます。6月に植えた苗が9月には米として収穫されます。私たちが毎日、口にするおいしいご飯も太陽の力ときれいな水によって育つのです。このように環境教育と食育は深く結びついています。ホタルが育つきれいな川、メダカが泳ぐきれいな川を守っていくことの大切さを学んでいきます。自然の力のおかげで私たちが生きていること、この自然を大切にしながら生きていくことを小さいときから自然に学んでいくことが大切だと思います。
 このためにも、私たちの生活を根本のところから見直していかなければなりません。家庭の生ゴミを、なるべくださないような生活をすること、再利用・再生可能な製品を使うことなど・・・・。色々と自分たちの頭で考えてみることが大切です。農業体験や自然体験は自然の偉大さを感じ、自然を大切にして生きていかなければならないことを実感できます。科学文明の進歩を意識的に止めていくことは、その恩恵にあずかり、豊かな生活を享受している私たちにとっては、かなり難しいことです。広島、長崎で原子爆弾を体験した日本人ですが、またしても現代科学の象徴である原子力発電、放射能汚染の危険を経験しました。この現代文明の中で、どのように生きていくべきかを、日本人は大きな決断を示していくことが求められているように思えます。


NPO法人環境みらい下関  理事
(梅光学院大学子ども学部教授・梅光学院幼稚園長) 黒田 敏夫




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